未完成という完成
設計はクライアントの自宅を訪れることからいつも始まる。それは家の話だけではなく、その家族がどういった価値観でものを選んでいるのか、またどんな人生観を持っているのか、そんなことを少しでも読み取りたいからである。アートが好きな人は絵を飾るための壁が欲しいだろうし、ワインが好きな家族は素敵なテラスを設計するかもしれない。
そうやって住宅を設計する上での要素を集めるわけだが、今回は今までと大きく違った。自宅に訪れて驚いたのは、表札、ポストに始まり、使われている家具のほとんどが御主人の手づくりで、生活が工夫に満ち溢れていたのである。それは一見使いづらさを感じるかもしれないが、彼らにとっては何にも替え難い愛着のあるものたちであった。ここでは時間と共に建築が完成に近づいていくような、完成という概念が従来の完成ではなく、もっと先の未来での完成の意味を持つ住宅を考えるべきだと我々は考えた。
敷地近くの丘に上がってみると遠くまで眺望が確保できることがわかった。生活領域をその高さまで持ち上げることを決めた。サッシのついていない階高の高い、壁に囲まれた屋外部屋の1階と、眺望の良い、室内を必要最低限完成させた2階の2層の構成とした。1階の庭部屋では食事をしたり、昼寝をしたり、音楽を聴いたり、バイクのメンテナンスをしたりと、生活の中に外部が積極的に関わりを持つ。建築後も敷地に充分に余地があるこの計画では、これから先部屋が必要になれば、新たに1階庭部屋に、部屋を増築したり、サッシを入れて室内化するなど、様々な可能性が残されている。
建築をつくるということが未来の領域を狭めることではなく、むしろ希望に満ち溢れる状態をつくり出す。外部を生活空間として取り込むこと、それは自然と同様に変化し続けることを可能にする。
便利さとは逆にある、不便だけれども自らが工夫を凝らし、家を自分の身体のように手入れしながら付き合っていくことで、住まい手が愛着を手に入れた時、本当の意味での豊かさに出会えるのではないだろうか。「未完成という完成」そんな余白を持つことが、これからの時間をも設計することにつながるのだと、私たちは信じている。